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最高裁判所第三小法廷 昭和28年(あ)2522号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差戻す。

理由

弁護人加藤正郎の上告趣意について。

被告人本人の上告趣意について。

職権をもって原判決の理由を検討してみるに、その判示のはじめの部分は、公訴事実を解明した後、差戻前の第一審有罪判決の結論、第二審差戻判決の理由、特にその指摘する疑問点を明らかにし、次で差戻後の第一審無罪判決の理由の要点を摘示しているに止まるから、通じて本件の経過を説明する序説と見るべきものである(記録原判決二枚表第一行ないし四枚表第一一行)。

原判決はこの後(前同四枚表第一二行)に項を改めて、本件につき書面による審査のみでは不十分と認め、事実の取調を行ったことを明らかにし、「それらの結果を総合すると」と前置して、原審の本件事案に対する判示に入っているが、その結論を示すまでの説明に三つの段階がある。初頭の第一段(前同四枚裏第四行ないし五枚裏第四行)は、被告人が本件犯罪の嫌疑を受けるに至った端緒とその後の捜査による諸事実を挙げこれらによって「嫌疑が濃厚と認められるに到ったことを首肯し得られる」とし、されば本件における捜査手続上の欠陥(判示は約四点を挙げている)について「非難を免れ難いものがあるにしても」、第一審判決のいうように、「警察員が被告人をもって真犯人なりと断定した根拠が、当時の捜査段階において相当且つ合理的なものと認められないとして、にわかにこれを否定し去ることはできない」と結んでいる。従ってこの段の判示は、要するに被告人の嫌疑が濃厚であって、警察員の断定をたやすく否定し得ないという強い疑を示した趣旨であり、被告人の犯行を認定したものではない。次で第二段(前同五枚裏第五行ないし第一二行)は、原審において証人を取調べた際の被告人の尋問態度から推論して、「警察員や検察官の面前における被告人の自白を目して任意性なく信憑するに足らずとなし難いものがある」というのであって、これまた自白の信憑力を否定することのなお困難なことを示したに止まりなんら事実の断定を含むものではない。しかるに次の第三段(前同五枚裏第一三行ないし七枚表第七行)は、重要である。すなわち冒頭に前の第二審差戻判決の指摘した四つの疑点を解明し、特にその(三)の時間に関する疑問について、算数上の多少の不一致によって直ちに事を決するは妥当でなく、むしろ疑点は時間でなく他にありとし次の問題を提供している。すなわち(一)何故被告人は第二の犯行後直ちに逃亡することなく、第三の現場に至ってさらに婦女を襲って強盗を行ったか(二)右第三の犯行後朝岡寅造方に行ったが右二回の犯行と朝岡方訪問とはいかなる関係があるか、の二つであって、特に(二)については検察官に対する被告人の供述によっては十分な説明と認められないとし、進んで最後に「今日となっては、被告人にその詳細の供述を求めることは不可能であるから推断する以外に解明の方法は存しない。そこで記録上明らかになっている……」と冒頭し(前同六枚裏第一行以下)、被告人の本件犯行の動機、各行為の経過と意図、及び心理上の推移に至るまで、きわめて具体的現実的な記述をし、自から「……という説明がなし得られるのである」(以下ここまでの説示を原審の推断的説明という)と結び、つづいて第一審の判示を排斥している。

そして最後の項(前同七枚表第八行以下)に結論を掲げ、検察官の控訴は理由があるから原判決は破棄を免れないとし、新たに(一)罪となるべき事実(二)証拠の標目(三)法令の適用を掲げているのである。

以上の原判示から明らかなように、原審の認定した事実の集約は、判示の「罪となるべき事実」であるが、これは本来原審が証拠に基いて順次論及して得た結論たるはずであって、前示三段の説示を前提とするものであり、そのうち第一段第二段は証拠の信用力について原審と異なる意見を示したに止まるから、結局第三段のいわゆる原審の推断的説明を合せて原審の事実認定を形成するものと見なければならない。しかるにこの推断的説明は、原判決自からすでに多くの疑を明示しているのであるから、直ちに判示のような事実上の推定に移りうる条件を具えているかどうかきわめて疑わしいのみならず、挙示の証拠と照合し詳細に検討してみても、説示のある部分は証拠を全く飛躍し、またある部分はかえって証拠と相反し、とうてい説示のような具体的な経過と推移をすべてそのまま是認するには足りないのであって、その大部分はひっきょう憶測による仮説と見るほかないのである。もちろん原審自から「推断」といっているから(また「推察」ともいっている)、すべてにわたり直接に証拠の裏づけを要するものではないが、いわゆる事実上の推定の許される限界から考えても、原説示のように証拠からは間接にもまた総合しても推論によって導くことのできない論結は、これを推断というには余りにも行き過ぎであって、当裁判所の判例(昭和二三年(れ)第四四一号同年八月五日第一小法廷判決、集二巻九号一一二三頁)の「訴訟上の証明は、通常人であれば誰も疑をさしはさまない程度に真実らしいとの確信を得させるもので足りる」という趣旨にも副うとはいえず、厳格を使命とする刑事裁判においては許されないといわなければならない。あるいは原判決の意図するところは、右推断的説明は、原審が「推察」ともいっているように、はじめから原審が証拠の証明力を越えて組み立てた一個の想定であって、いわば余論的記述に過ぎず本来の事実認定を判示した部分ではないというにあるかも知れない。しかし原判示は自から本件について多くの疑を示しつつ、なおかつ前記推断的説明をし次で結論に入ったのであるから、右説明は、原審が罪となるべき事実を認定するに至った心証の基礎を具体的に表示するものと見なければならない。それ故これを結論たる「罪となるべき事実」と引離し不必要な説示に止まるとなすことはとうてい許されないのである。従って原審の前記推断的説明に基く事実認定は、結局理由不備の違法あるに帰し、この違法は直接判決の主文に影響があるから、原判決は破棄を免れないことに帰する。

以上説明のとおりであるから、被告人及び弁護人の所論について判断するまでもなく原判決を破棄し原審に差戻すを相当とし、刑訴四一一条一号、四一三条により全裁判官一致の意見をもって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林俊三 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 本村善太郎 裁判官 垂水克己)

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